記念事業
宇部市制施行100周年記念冊子
本市のあゆみや歴史、文化等を振り返ることができる記念誌を作成・配布
活動内容
広報うべ10月号と一緒に全戸配布しました。
米騒動について
米騒動に関する表記には、一部誤記あるいは誤解を招く表現等がありました。また細部について、諸説あることから、市内の研究者からいただきました訂正を掲載します。
[訂正]
宇部の米騒動は1918(大正7)年の富山米騒動から1ヵ月後の8月17日夜に勃発して市街地全域に拡大し、18日夜、軍隊が発砲して13名が射殺されて収束しました。
宇部では炭鉱労働者の賃上げ要求が端緒となりました。交渉が決裂すると、沖ノ山や東見初炭鉱などの鉱夫約3000人が市街地に繰り出し、沖ノ山炭鉱頭取の渡辺祐策をはじめ炭鉱主の自宅や商店、遊郭などを、棒などを手にして襲撃しました。
当時は第1次世界大戦による好景気で日本の工業化が一気に進むと同時に、資本家と労働者との格差が拡大、労働者の不満が限界まで膨らんでいました。そこに富山での騒動が引き金となり、一気に爆発したのが米騒動でした。
【米騒動とは】
第1次世界大戦末期の日本のシベリア出兵などを契機に米価が急騰、売り惜しみや買占めが広がる中で東部富山湾沿岸都市の漁民区の女性荷役労働者たちが米問屋などに押し掛けたのが発端となり、全国の大都市や炭鉱まちなどで暴動が連続的に発生、1道3府38県の368カ所に及んだとされています。
担当課
市制施行100周年記念事業推進課
TEL:0836-34-8898